ファッションエディター亜利沙は銀座のコリドー街でひとり飲み。
「あぁ、またお酒飲んじゃった・・・」
声には出さず、唇だけ。声に出したら落ち込むはずだから。
「サングリアもいいけど、カバもどうだい?」
突然、声をかけてきたのは明るいチャコールグレーのスーツを着た男だった。
裏地はなく、夏用のサマースーツだ。
ボディラインに吸い付くようなシルエットは、おそらくオーダーであつらえたもの。
どことなく着こなしがブリティッシュ。
袖口を見ると本切羽仕様で、ボタンホールの糸を一箇所だけ色を変えている。
ボディラインに吸い付くようなシルエットは、おそらくオーダーであつらえたもの。
靴は・・・シンプルな黒のプレーントゥ。
トゥがぽってりしているところを見ると、SANDERS (サンダース)かしら。
渋谷、六本木の勘違い男のように、丈は短く、シルエットはとにかく細く、とんがった革靴をはく輩とは大違い。
この男、おしゃれをわかっているっ。
いつもなら、心の中で「うざいやつ」といいながら無視を決め込むものの、男の着こなしと紳士な雰囲気が気になり、相手と視線を絡めてしまった。そして何より、男が発したカバが気になり、反応してしまった。
「カバ?」
男はニヤっと笑い、「動物園にいるだろ?」。
私は心の中で「ん? 何言ってんの? この人バカ?」と呆然。
男は軽い調子で続ける。
「いま俺のことバカって思ったろ? ちがう俺が言ったのはカバだ。カバってのは、スペインのスパークリングワインのこと。ほれっ」
黄金のきらめきが湧きたつグラスをかかげ、こちらを見る男。
よく見ると、顔もなかなか。年齢は35といったところか。
「若い子がさっきから小難しい顔をしてたから、おじさんがくだらない話をしてやろうかと思ってさ。迷える子羊にアドバイスを授け、酒も与えるのが、酒場の大人の流儀だからな」
こちらが戸惑っている間に、男は話を勝手に進める。
「店員さんさ、ちょっとグラス1個くれるか? こんな時間に一人で飲んでいるってことは君はイケる口だろ? まぁ飲みなさい」
ぐっと出されるグラス。まるで天の川のように泡がきらめいている。
会釈して、手に取り、一口。
「あ、おいしいかも」
口から漏れる感想。
それを聞いた男は、くしゃくしゃっと笑ったのだ。
「少しは、表情がほぐれたな。よかったよかった。おれは隆弘。よろしく」
これが隆弘との出会いだ。
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